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●共感覚
というものがあります。知っている方もいるかと思いますが、ドレミファを聞くと、それぞれに色がついて見えるとか、匂いを感じるとか、あるいはある色を見てハッキリとした音や匂いを感じるとか、そうゆうことなのですが、多かれ少なかれ人にはそうゆう感覚はあるにしろ、ハッキリと感じてしまう人というのがいるんですねー。わたしが初めてそれを知ったのはつい数ヶ月前に水道橋博士と宮崎哲弥が司会の『博士の異常な鼎談』(tvk)にゲストで出ていたモデルの中野裕太がそうだったからなのでした。これは、す、凄いなあ〜。と興奮しまして、いろいろ調べてしまいました。宮沢賢治もそうだったのね。一番有名なのはレオナルド・ダ・ヴィンチです。妄想や想像なんかじゃなく、現実に彼らは見ていたのだ。見えていたのだ。音や匂いや色を同時に。そしてそれを表す才能を人一倍持ち合わせていたのだ。 共感覚とは別のお話なのですが・・・・・ マグリット 幻のようなものでも、見えていればそれは現実なわけだ。おととし、わたしは直径5cmほどの円形の中にゴシックの『2』が入ったものが天からいくつもゆっくりと落ちてくるのを見た。街がすべてジェリーの中に入っている状態で、そこここに気泡さえあった。あれは確かに見てしまったものだった。そのジェリーの中をかきわけて前へ前へと歩くのは力がいった。前へ行く、という意識をしないと前へ進めない。でも悪い気分ではない。なぜならジェリーは柔らかく優しく、からだにフィットするからだ。降ってくる『2』がゆっくりとジェリーに埋もれて行く様子は美しかった。 さらに、昨年の春には精神的におかしくなりかけていた(なっていた)せいもあるのだけど、歯車をいくつも見てしまった。これには参った。いくら目をこすってもいくつも重なりあって見えた。その歯車のせいでまったく前方の視界が遮られてしまう。3D映像でついやってしまうように手で払っても勿論それは消えなかった。一体これはどうしたことだ!!と怖くて目を閉じるのだけど、それでもグルグルとゆっくりと歯車は回っている。きっと疲れているのだ・・・・と目をあけるのを諦め、休むことにした。これが続いたら、もう何も見えてないのと同じことだ。子どもの顔を見ても顔の部分が歯車になってるわけで、空も、テレビも何もかもが歯車になっている状態なのだ。こうなると絵も当然描けないわけで、「そうか、これからはわたしは歯車を描くしかないのか」と思ったのだった。心を落ち着かせて数時間横になっていたらなんとか消えてくれたので、でかけて用事をすませたが、歩いてる最中一度歯車が出かかったのを気力で押し込めて、いそいで家に帰った。そんなことは数日続いた。 今はもう大丈夫だけれど、少しあとでデザイナーのNさんにその話をしたら芥川が死ぬ前に歯車を見ていたということで、危なかったねえ、よく戻ってこれたねえ、と言われた。いや本当によかったです。芥川には「歯車」というドンピシャの小説がある。そういえば。 見えてしまったものは、『2』も『歯車』もあまりにもリアルだったので、客観的に見て「おもしろかった」し、「興奮」してしまった。いつでもこんなもんが見えていたら、どうだろうか。ジャンキーってこんな感じだろうか。なーんてことを考えたりしたわけです。わたしはナチュラルジャンキーなのだ、きっと。 それから「2」については絵にいれ込むことが多くなった。でも、歯車は何度も下絵を描きながらも、完成するに至らない。何故かというとこれを描いたらおしまいだ、という気分になるからだ。歯車を描く人は多い。よく見る。その人たちはどうして歯車を描くのだろう。わたしは自分の気持ちの突破口として描きたいと思いつつも、描き始めると具合が悪くなってしまうのと、これは突破口ではなく逃げ道だ、という意識があり、少なくとも今描くものではない、と思えるのだ。完成させたらきっとあとは突破ではなく「死」しか残ってない・・かのようにさえ感じるのだ。そして芥川は「書いてしまった」のだった。 この歯車を見た昨年の春頃、この日記にも少しその事は書いたのですが、あまりにも歯車まっただ中だったのでオブラートに包んで書いたと思います。きっとそのうち整理ができるだろう。その時に書こう、と思っていた。今やっとその時が来たかな。そんな今日この頃でありんす〜。よかったねぇ 水道橋博士と宮崎哲弥の上に書いた番組はたいそうおもしろうございまして、毎回は見てないのだけど、見るたびにゲストの話以上に宮崎氏がおもしろいと思ってしまうのでした。友達になりたいです。ちなみにきょうが放送日。きょうのゲストは有馬晴海です。 ●マグリットの罠 ルネ・マグリットについては別段考えたことがなかったのに、今ふと思い出してしまいました。マグリットの不思議な世界と彼が静かに暮らしていたのには関係があったのかもしれない・・・と・・・。もしかして現実に見てしまったものを描いているから、突っ込まれたくなかったんじゃないかしらん???!!!想像の産物ならアレコレと説明もできるだろうけれど、そうじゃなかったのかも。「本当はね、見ちゃったのよね、ボク。空から男たちが降ってくるのをサ。黒いコートを着てね。顔に花が咲いているのもよく見たよ。浮かんだ石もハッキリ見た。でも信じてくれないでしょ?だからサ、あんまり言いたくないのよね。変人だとか言われたくないしね。普通に生きてるだけだしね。」なーんてことかもしれないじゃあないのよー あの淡々とした表現こそ、ただの想像じゃないことの表れのように思えてくるのだ。 シュールリアリズムの画家はたくさんいますが、ダリのはまったくの想像、創作に感じるんですよ。驚かそうとかね。そうゆう作り物感、そんなもんも感じる。でも、マグリットはどうもそう思えないフシがある。危険を感じて触れることができなかった、というのがわたしが彼について考えたことがなかった理由なのかもしれない。それとも、それすらもマグリットの陰謀かもね。すべてを演出していたのかもしれない。不思議な人だ。 きのう書いたオーラの話。あれがなんでそんなに尾をひいてしまったかというと、何もないと思しき場所に色がついていたということで、共感覚とは違うけれど、共感覚のような気分を味わえたからなのだと思います。 「松本さんといえば、緑よねー」なんて感じが、実際に肉眼で見られるという楽しさがあった、というわけです。多かれ少なかれ持っているとは思うけれど、本当に持ってる人というのは、最初に書いたように、ドの音が赤(かどうかは知らない)として見えてしまう、ような人のことです。誰かわたしの回りにもいるかしら?
by eggdance
| 2009-09-17 21:04
| 作品/art
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