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●尼僧宣言
10月に入りまして、爽やかで良いのですが、なかなか眠れない。眠れない理由は楽しいことと心配なことが入り乱れているせいなのでありました。心配なことはほとんどが家族のことで、全員一人づつ心配の種が違うという困難。心配になってくるととまらないなァ。母親や姉や兄のことまで広がって、自分のことはどうでも良くなってくるのだけど、来年の個展がカッキリ決まった瞬間にいつものように妄想がとまらなくなっちゃって、楽しくて困る。回りの人のために身を粉にしたいという気持ちも正直な気持ちなのだけど、自分の妄想実現にも身を粉にしたいわけで、どっちも両方やろうとするために死ぬほど忙しくなる、と10年過ぎたのだ。ここ数年は自分の妄想実現の方に比重が寄りすぎたことは否めなくて、さまざまな葛藤ののち、先月の個展以降は来年6月まで尼僧のような暮らしをしよう!と誓ったのですよ。半世紀も生きてきたら、もう尼寺が良い。うん、なかなかいいね。わたしはすっかりその気だ。そう決めたら気持ちがスカッとした。 ●我慢できない 尼僧といっても『生臭尼僧』なのであ~る。葛藤してる間に例のアノモノBOX在庫あり情報の誘惑があり、ポチッとやってしまった。生臭いなぁ。届けられるのは今月の半ば以降のようで、数ヶ月間はそれと共に静かに制作にいそしみたい。洋服も買いません。靴も買いません。神様お許しください。 今月末までわたしは貧乏のどん底なのでなにかと我慢しなければいけない。最近よく考えるのは、世の中一部の優雅な人をのぞいてみんな「こんなハズじゃなかった」と思ってるのではないかなあ、ということ。多分それは、わたしくらいの世代はとっても豊かな暮らしをして育ったからなんだろうと思う。同じような気分で暮らしが延長されていくと思っていたら大間違いで、こうなると、豊かな気持ちになるためには精神修行をするしかないなぁと思ってしまう。鳩山政権になって、ニュースは良くみるようになった。精神修行なんてしなくてもイイような希望の持てる生活がしたいもんだ。尼寺の中なので、そうどん欲ではないよ。 と、尼僧は思いつつ、刹那的にモンティ・パイソン日本語吹き替え版BOXなんてぇのが出ました~という余計なお知らせに目を走らせてしまい、またポチッとやってしまいそうだったが、今んとこ例のアノモノ盤をポチッとやってしまったばかりだから我慢している。我慢って本当に嫌だよね。自分も嫌だから、子どもにも「我慢しなさい」というのがすごーく嫌なので、言いたい時には違う言い回しを考える(詭弁)。 きのうは工房でまだ終わってない刷り増しをしていた(きょうもしてた)。Hちゃんが凄い剣幕で『ヴィヨンの妻』の主人公の男を罵倒していておもしろかった。わたしはちょっと離れたところにいたのだけど、数名が賛同していたようで、太宰って工房では人気ないのかしら?とちょっと不思議に思い(好きと言っても恥ずかしくはないと思うけど)、その理由に聞き耳をたてていたら、それは男として嫌だ!ということらしかった。なんでこんな男と一緒にいるのかわからん、というのだ。わたしはわかるけどねぇ。 しかしよ~く考えてみたら男としてわたしは太宰のことを考えたことないよん。文学的にはおもしろかったと今でも思っているので落ち着いたところで反旗を翻してみた。「わたしは好きだけど」と言ってみた。「ええ?!どこがいいんじゃ!」と言われたので、それはコッケイなとこでしょ~と答えた。 人間の本質なんてコッケイなもんだ。大真面目に語らない(恥ずかしくて語れなかった)ところがわたしは正直だと思ったし好きだった。しかも、文章に品があったし、軽やかにクソ人生を語ったのが好きだった。だって、クソッタレではないか、この世は(と生臭尼僧は汚い言葉も使う)。お坊ちゃんがわたしは好きだし。賛同者も一人いたのでよかった。 とにかく男として考えたことはなく、多分太宰ファンというのはそうゆう見方ではなくて、自分に置き換えてファンなんだと思っている。どこかの部分でかならず自分と同じだ、と思ってしまうようなところがあるのだ。わたしの場合でいえば、いくつかあるのだけど、高校生の頃読んでいて一番グサッとなったのは「トカトントン」だったと思う。 うまくいきそうになると主人公の頭のどこかで「トカトントン」と音がして、ス~ッと熱が冷め、すべて終わりにしたくなってしまうのだ。主人公はようやく郵便局に務めだしていて、なんとなく平和に楽しく暮らせていけるハズだったのだ。しかし、世の中にはそうゆう平和や安泰にどうしても安住できない人というのがたくさんいるものなのだ。精神修行をしてもう少し我慢をしているうちに、それはそれで能動的に楽しみを見いだせて、イイ暮らしもできるに違いないとわかっていてもどんどん「トカトントン」という音が大きくなってきて、捨ててしまいたくなる。 ![]() クソッたれ人生をやめた太宰治 (この写真物思いに耽ってるのだと思ったら、 将棋だか囲碁の次の一手を考えているらしい) ![]() クソッたれ人生を生きたブコウスキー ブコウスキーなんて、年がら年中トカトントンの連打だと思わせるよねえ。あそこまで強烈にはならないだろうけど(時代も違うし)、若い頃はわたしはそんなだった。この音が鳴る人と鳴らない人がいるのだと思う。太宰が嫌いな人はもしかしたら鳴らないのかもしれない。太宰は39歳で亡くなる。思えばわたしがトカトントンと鳴らなくなったのは40過ぎたくらいからじゃないかなあと思う。あと1年くらいダラダラ暮らしていたら太宰も鳴らなくなってたかも。「かも」っていうのは無意味なんだけどね。そういえば、あの滅茶苦茶なブコウスキーは40歳で郵便局員になり、50歳まで文章を書きながらもずっと続けて働いていたんだっけ。40になって9時から5時まで働くことに対して割りきることができるようになったのだろう。太宰はやはり40歳まで生きていたならきっと気持ちもパラリと変わっていたかも。いや、やはり「かも」なんて無意味だな。我慢ってなかなかできないもんよね。
by eggdance
| 2009-10-03 22:02
| その他
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