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きょうはマツキヨ誕生日だったので、いつもの質素な食卓から無礼講へ。高カロリー、高コレステロールなもんを食す。10月は栗の時期でいつも仕上げはモンブランになってしまう。昼間はランチからそのままズルリと数時間もデザイナーの友人Kとお茶とおしゃべりで過ごす。
●小説家 英国モンの絵をまた描くことになったので、本棚から資料を捜す。文学散歩という本。ブロンテ姉妹(+兄1)の故郷の写真は荒んでいたが、ウルフの過ごした場所は花がきれいだった。ブロンテとウルフは100年ほどたっていて、ウルフはブロンテ姉妹のように男の名前を使うこともなく女性として立派に執筆活動をしていた(できた)けれど、神経は常にピリピリしていた。英国作家の中ではヴァージニア・ウルフは有名なところを読んでなくても(読んでないのだ!)、「オーランドー」と「フラッシュ」の2冊のみでわたしは尊敬している。SFではないか・・・「オーランド」。 川に身を投げたことは考えないようにしよう。 ![]() ブロンテ姉妹は不気味すぎと思うことが多い。「ジェイン・エア」は少女漫画みたいだった。ブロンテ姉妹は兄の描いた絵で見るかぎりブスではないと思うのだけど、そのねちっこさと我の強さがブスな感じがして嫌なんですけど・・・・スミマセン、言いたい放題。『嵐が丘』の方は本を読む前にローレンス・オリビエの演じるハンサムなヒースクリフのでる映画を見てしまい、オリビエが美しかったし、ドロンドロンギトギトのこれまた妄想大袈裟少女漫画みたいだとは思ったけれど、読むよりは手軽でおもしろかった。でもやっぱし、妄想癖で狂人、病人、復讐、裏切り、等々とエキセントリックな要素ばかり盛り込むのは実は想像力があるとは言えない、むしろ貧弱な想像力だとわたしは思っているので(たいていはこの小説は想像力の勝利!と言われているのだ)、やっぱり好きにはなれない。なんてことを常々思っていた。 ルイス・キャロルがかつて「おもしろいかもしれないが、わたしはこの主人公たちとも作者とも友達にはなりたくない」みたいなことを言ったと記憶していて、さもありなん、と思っていたのだけど、この写真本の解説を読んでいたら、それはわたしが勝手に長い年月かけて作り上げていたセリフで、本当は「まったくのオリジナルではあるが、こんな人物がいたらいいなんてことは思わない」と言っただけだったことが発覚!!ルイス・キャロルを勝手に自分の味方に引き入れただけだった。あな恐ろしや。こっちの方が恐ろしい。すっかりブスなことをやってしまった。 エミリー・ブロンテの想像力とヴァージニア・ウルフの想像力とはまったく違う。比べるものではないとは思うけれど、ブロンテの方が分かりやすいだけあって人気があるような気がして、勝手に比べて勝手に小難しい方のウルフに肩入れするのだ。 しかし、早くに亡くなった姉妹であります・・・・悪く言わないようにしたい。 日曜だったか・・・BSのアンコールアワーみたいので「ETV8」でやっていた太田治子が太宰の斜陽館に行く番組を見た。太宰の愛人として生きた母太田静子の日記と「斜陽」。打算と愛と、抑えきれない制作欲。どの思いも嘘じゃないのが切ない。斜陽館に入った時のオドオドした太田治子の所在なげな様子に胸が詰まった。 小説家ってのは、きびしいなぁ。身を削ってるものなぁ・・・ と考えてみると、ブロンテ姉妹はおかしい。まったくの想像の産物だから(と言われている)身を削ることはない。「あの小説ってあの人の経験なんですって、いやあねえ〜〜〜」なんて後ろ指をさされることはない。牧師館に育ち、後ろ指をさされるようなことはしたくない(半分逃げ)というのもあったのかな・・・・と、穿ったことばかり考えるわたしでありました。時代背景も女にきびしかったわけだから、それも仕方ないことで、そんな中で描いた「嵐が丘」はエラく情熱的だ。恐ろしいくらいに女。わたしは怯んでしまいます。 荒涼としたブロンテ姉妹の故郷の風景があの想像力を導いていると思えば、やはり驚異的なような気がする。 ●フォークルとラトルズ 加藤和彦のことがひどく衝撃的であとをひいてしまう。小学生の時に初めてカッコイイと思った(帰ってきたヨッパライでカッコイイ!と思ったって変だと思うんだけど、結局こうゆうしゃれたコミックソングをやる人が一番好きなんだと確認してしまいました。)日本人だったからなんだと思うんだけどね。こうやって改めて考えてみると、フォークルとラトルズがわたしの中で双璧をなしていたなぁ・・・なんだかかぶるなぁ・・・ 考えないようにしよう。 ●横尾忠則の死生観 ![]() 日曜日、夜は日曜美術館で横尾忠則を見た。相変わらずの天才は、完成されない絵をたくさん描いていた。 ことばのひとつひとつがアーティストとして重みがある。「頭はまだ描きたい、と思っていても、身体がもう描きたくないとおもっている」と、それで終わりとする絵。終わりとしただけであって、それが完成だと言ってるわけではない。未完のものを買って行く人もいるそうで、それでも善しとしているのがイイなあ。 『死を思いながら生きている。』という言葉は今さらとは思うが、(鈍い人じゃなければ)人はそれを背中に背負って生きるもので、それに気がつかない人は今からでも気づいた方がイイ。死を思う時、始めは怖いという負のイメージだろうけれど、ある時こう思うのだ。『すべてのものが手に入ったとしても、死は手に入らない。死に直面した時にやっと手に入る。』こんな風だ。横尾忠則は番組でそうゆう事を飄々と、そしてワクワクと語ったのがとても印象的だった。「死ぬ時になったら興奮するでしょうねえ。ああ、今ついに死を体験できるんだなあ、って」と。そして終わってしまうんだけど、そう思って生きていれば、死を迎えるまでの年月をワクワクしながら過ごせるのではないか?とわたしは思うのだ。「死」というどうがんばっても生きている限りは万人にとって未知でありつづけるものを体験できるその日その瞬間を恋焦がれながら、その日まで「生き生き」と生きたい。 が、先のことはわからないけどね。 考えないようにしよう。
by eggdance
| 2009-10-20 23:59
| その他
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