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4月10日の日曜日は、19枚の和紙に刷った作品を宅配便で無事ギリギリ締め切りで送り届け、その後近所の小学校にて都知事の選挙(石原には入れてない)。それから高円寺に向った。
![]() ●行こう、のキッカケ ![]() 何週間か前からツイッターで10日に芝公園と高円寺で脱原発のデモがあることは知っていた。最初っから行こうと思っていた。日本ではデモは未熟だけれど、わたしたちは多くのメディアで外国のたくさんのデモの報道を見ている。そして、歴史を顧みても、小さな一市民の声がその内大きなWAVEに繋がることは周知の事実であり、それ以上にわたしはデモに限らず世の中で無駄になることなんてない、と日頃から思っているから、「デモやったって変わらないよ」「選挙行ったって変わらねえよ」「カッコ悪いよ」という人には、コツコツと「いやいや米騒動だって農民がさ〜」なんてことを言ってみたりする。 きょう工房に行ったら、70代の女性画家さんに「どこでデモがあるって知ったの?あなたは何かのグループに入っていて、それでデモに行ったの?」と聞かれた。何故そんなことを聞いたのか、と一瞬驚いたが、次の瞬間に彼女が安保闘争の時代の話をしたので理解した。 「わたしたちの時代はなんだかんだとたくさんデモがあったのよ」と。当時だって一般市民もデモには参加したとは思うけれど、多分彼女の脳裏には「セクト」の言葉が浮かんだんだと思う。 「いえいえ、全然そんなのありませんよ。(組織に入ったことなど一度もないし、嫌いだし)わたし一人でいったし、インターネットで知ったんですよ。みんなそんな感じだったと思いますよ。ほとんどの人が初めてデモしたんだと思います。わたしもです。初めてのデモ、という親切なサイトも貼ってあったりして」と答えた。 ![]() 昔のデモとは違う。日本では少ないが、海外では何かといえばストがあるし(特にフランンス。)、とにかくまずは声を出す、というのは普通のことだ。何故って、声に出さなきゃわからないから。そしてそれは権利だから。デモの目的は認識にある。なにも革命を起こそうってんじゃない。声をだしても良いこの国にいることに幸せを感じつつわたしはその権利を無駄にしたくないと思ったのだ。 まあ最初はそんなことだったのだ。原発・・・処理の仕方もわからないようなもの、この地震列島には危険すぎる。今すぐ廃炉にしたって10万年放射能は消えない。86年のチェルノブイリだって石棺化がそろそろ危ないらしいじゃないか。だから今すぐに決断した方が良い、とわたしは思ったからだ。 この日の都知事選でのネットでの一番人気無しは石原現都知事だったが、ネットの外では断トツ一番人気だった。アリャ、と思うこの温度差はどんどん開いて行っている。今回のデモに関しても都知事選にしても、風評被害にしても、ネットを見ている人と見てない人の差が激しすぎるのが気になって仕方ない。だからといってどちらもバーチャルではなく、どちらもリアルな世界なのだ。わたしは原発と被災者の未来の次にこれなんとかした方が良いと思っている。どうやったらなんとかなるんだろう・・・。ネットは見ないがテレビや新聞は見ている人のために「ツイッターチャンネル」「ツイッター速報」なんていうのがあったらどうだろう。 ●高円寺というところ、そして目的 ![]() わたしの回りでは芝公園に行ってから高円寺にも来た人がいた。けれど、大抵は馴染み深い高円寺だったら行けるな〜、ロックな感じだから行こうかな〜、という人も多かったと思う。別にそれで良いと思います。実際名称にロックとつけられていた。 松沢呉一さんがいち早くブログに書いてましたが、お祭りのつもりの人もいただろうし、被災地からアプローチしようとわざわざ来た人もいたし、コスプレもいればレゲエもいれば保護服もいればいろいろだったけど、これも高円寺だったからだろうし、わたしも全然構わないと思った。60年代のような建て看文字が並んでいたら、興醒めしてたと思う。 ひとりでテクテク行ってみたら、何人もの知合いに会った。高円寺というところはライブハウスもたくさんあるし、何かと若者が集まるところだからわたしも馴染みがあるし、コースも知ってる道だった。楽器屋の前、知合いの家の前、ライブハウスの前。集合場所の公園で知合いを見つけ一緒に行動。チューバの関島さんや大熊さんらのビクトル・ハラや不屈の民の演奏があった。人だかりで全然見えなかったけれど、まわりには何人かの外国のカメラマン、カメラクルーがいた。しかし日本のメディアのカメラは皆無だった。 そうなんだよね・・・やっぱりね、とわたしは思ったのだ。日本のニュースにはきっとこれ映らないんだろうな、と思っていたのだ。あれからちょっと風邪をひいてしまって次の日もニュース映像みてないのでわからないけれど、ヒトの話によれば1社(日テレ)で少し映っただけだったらしいね。でも、海外ではたくさん流されるだろうとわかっていた。もう一度言うと、デモの最大の目的は認知なのだ。日本のメディアが無視しても外国のメディアやyoutubeでは流されるだろう。 震災にあったあとすぐ、海外メディアは日本人がパニックにならないとことがすばらしい〜と絶賛する日々がつづいていたけれど、原発がどんどん危険になっていっているのに立ち上がる人がいないことに「単なる従属」みたいに言い出していた。いや、ちょ、ちょっと待ってくださいましよ、日本は今とにかくとんでもなく人が亡くなっていて、まずは被災地が大事なんだすよ〜、ま、待ってくださいましよ、ゴタゴタしとるんですよ、これからなんですよ、みんな言いたい事はたくさん持っているけれどデモ慣れしている西洋のみなさんがたほど早くできないんでござんすよぉ〜 という気分だった。 ●「ずっとウソだったんだね 」 と声をだすこと と、数日前の朝、ミュージシャンの斎藤和義が名前も告げずにyoutubeで自身のヒット曲「ずっと好きだったんだよ」を「ずっとウソだったんだね」と替え歌にして流した。 http://bit.ly/eVaUbE 朝からわたしのツイッターのTL(タイムライン)やFacebookでは話題になっていたけれど、あっという間に偽物説が出て、あっと言う間にやっぱ本人ですとなり、あっという間に所属レコード会社が削除に走った。しかし無駄なのだった。(翌日Ustで生でも演奏された) この斎藤和義さんの曲をやはり「意味がない」と言う人たちがいます。いろんな意見があって当然なのでそれはそれで良い。でも、わたしは充分意味はあったと思ってる一人です。「意味がない」という人は『自分が原発に対して無知だったくせに文句だけ言ってる』、なんてことも言ってるようですが、それの何がいけないかしらん。無知だった自分に対して悔しいと思ってる気持ちがこうゆう替え歌にせずにはいられなかったんじゃあないかなぁ。偉そうに理屈こねるよりずっと素直じゃないか。 ケルトの昔から、ニュースは吟遊詩人が歌で表したんだよ。一番伝わるからなんだよ。 脱原発デモは、当初主催者が考えていたよりもずっと多くの人が集まったのは、先に書いたようにいろんな立場で集まったにせよ、共通するものは確かにあったハズで、それは「命が危うい」という1点だろう。「ひとつになろう日本」というテレビでのスローガンに協調性の無いわたしは「ギョエ〜、ちょっとキモいかも」と思うこともあるのだが、スポーツ好きでもあるので、キモくないと思うこともある。いや、それはどうでもいいんだけども、命が危うい状況が、「ひとつになろう東北」から「日本」になり、今や「地球」の問題になったのだ。「地球はひとつ〜」とフォーリーブスも歌っていたぞ。いや、それもいいんだけどね。 ●東京人とわたしのアンガージュマン ![]() 暴動ではないです。交通整理しているところです 東京の人は3月11日に突如選択を迫られた。それは複雑だ。東北の方達のように直接的悲劇的被害は受けてないが、あの日の揺れは直接「死」を意識させたから、今自分は何が大事なのか、何を大切にして生きていかねばならないのか判断を迫られた。判断すらする時間がなかった津波に飲まれた方達のことを考えると、この機会を与えられたことに感謝さえする。 「死」はいつも背中に貼り付いているものだ。それは最初っからわかっている。「メメント.モリ」死を想え。 これはわたしが不勉強ながら4年間大学の哲学科に行って心に沁みたいくつかの言葉の内のひとつだ。死はやってくる。そして、それを想った時に人は生き生きと生きることができるだろう。これは悲観的なことではまるでなく、前を向いて歩くための大事な根本思想だ。 そして災害に直接見舞われなかったのに福島の原発事故がおきて東京はまっさかさまになった。原発のことも不勉強だったが、福島の原発が東京の電力を作っているということも知らなかったわたし。多分ほとんどの東京の人たちがそうだったと思う。それを知った時点で東京の人は被害者であり加害者であるという悶々にぶち当たってしまったのだ。東電と政府の利権についてはたくさんの人が書いていると思うのでここでは長くなるし(もう長いけど)書かないけど、その政治家を選んだのも我々だ。こうして命の危機にさらされてみて初めて1票の重みを感じたのはわたしだけじゃないよね。 これが正直なところだ。 多くの人命を奪った津波は憎いが、地球に生きている限り受け入れるしかない。でも原発はまるで違うんだもの・・ 一人一人の無関心がこうさせてしまったんかい、と漸く気づくわけです。 そしてまたわたしは大学時代の数少ない心に残った言葉を思い出すわけでしたよ。それはサルトルのお言葉「アンガージュマン」社会参加という意味ですコレ。デモの話に戻りますが、デモがあったら参加しよう、と思ったのは原発でイライラしだした時にこの言葉を思い出したからだ。頭の中に自然と湧き出ていたこのことば「アンガージュマン」。学生の時はピンと来なかったのに、どこかでちゃんと覚えていたのだから「自分偉い!」 サルトルは自由への道という本を書いています。人間にとって大事なのは「自由」であり、自由とは勝手にやってくるような簡単なモンじゃなくって、闘って勝ち取るものなのだ、ってことですね。あるいは、その自由をはばむものから自由は自らとりかえさねばならない、ってことですね。今ようやくその気分になってたわけですわ、わたしは。 アンガージュマンの第一歩はデモなんだよねー、これがわたしがまず思ったことで、まずは声を出すことだろう、ということだ。 東京の人は、自分のこのモヤモヤの行き場を求めて高円寺に集まったのかもしれない。 ●声のパワー ![]() 話は飛ぶんだけど、先に書いた斎藤和義さんの替え歌についてはわたしは随分考えさせられた。 わたしは湾岸戦争の時に劣化ウラン弾があまりに酷いので「化石を見たかい?」という曲を書いた。でも、いつもそれを歌う時には説明しなきゃわかんないんだよ。わたしは、いろんな意味に感じてもらって良いと思いつつも、必ず説明してしまっているわけで、やっぱりそれならもう少しストレートな歌詞にすればいいんでないの?と思ったりもするわけです。わたしは軟弱だな・・・・歌詞にするとあまり美しくないから・・・という理由で劣化ウラン弾のウの字もわたしは書かなかった。伝えたいメッセージがあるのならもっとストレートにした方が良いと思う。でも、そこまでできない。また、したいと思ったこともなかった。でも、実際にハッキリ歌われると、わたしはスッキリしたのだ。 声や歌がスゴいのは、文字と違ってこちらの意志と関係なく耳に入ってきてしまうことだ。良くも悪くもダイレクトに突き刺さる。文字は見たくなきゃ見ないで終わるだけだ。歌が多くの人に広まることは文字の比ではない。 ●そして速やかに流れ解散となるのだった さて、デモの告知を見てまずは誰が主催なのか見た。高円寺の商店街の方のようだった。順路も書いてあるしデモというのは警察に届けをだせば普通に交通整理をしてもらいながらやれるのだろう・・・と思っていたので(浅はかでしょうか?)、何の支障もないと判断したわけですが、あとでわかったことだけれど、商店街の方達は知らなかったようで、それはイカンかったと思った。途中のよく弦など買う楽器屋の前には学習塾があり、その前を大きなスピーカーでガンガン歌って行進していた車は、さすがに盛り上がるとはいえ「子どもも講師も腹たててるだろうな・・・」と思った。 それでも、わたしが見た限り暴れる人もいないし、ハッキリ行って怒られるかもしれないけど楽しかったです。振り向くと友人の旦那さんが腕組みして立ってたし、編集の人踊ってるし、知合いのロッカーはプラカード作って持ってたし、昔憧れていたスタイリストのヤッコさん(高橋靖子さん)がキヨシローとデビッド・ボウイのバッヂつけたマスクして派手に立ってるし(挨拶できて嬉しかった!そして『みんなブログに書きましょうね』と彼女は言った。こうゆうことが無駄にならない一歩だとわたしも思う。つまり、認知ということだ。みんなが記録に残すことは大事なことだと思うのだ。だからわたしも二日がかりで書いている。「詩と思想」の7月号のためにエッセイを書くことになっています。20日締め切りなのですが、まだやってましぇん。すみましぇん。とここで忘れてないということをアピール)、鶴見のグループ展の二人も来てたし、行進しているすぐ後ろに「Bronze & Willow」プロデューサー野田っちと音楽家の大友さんが歩いてたし。(大友さんは福島出身で次の日には福島に行った)。警官は随分たくさんいたけれど、元々反政府デモってんじゃないから普通に交通整理をしてくれていた。お疲れさまです。制服の本のイラストを書いている身として言わせていただければ、日本の警察官の制服の上着の丈は中途半端で良くないすね。 ![]() ヤッコさん ●次 ![]() 親子連れの人も恋人どうしもなんらかの意思表示をしていた。そして、2時間歩ききって北口広場についた時、ああお腹すいた、お好み焼き食べよう、と自然解散となり、その後一緒に行動していた4人で大阪豚玉をつつきながら原発のこと選挙のこと、音楽のこと、等々話は尽きなかった。この日は高円寺は外食産業回ってたでしょう〜。 途中で選挙結果がわかり、ウヘー!なんてこったい!となりもう1杯飲んだ。が、わたしたちは前向きなんよ。こうなったら石原に変わってもらおう。原発がなくなったら今のくらしが維持出来ないぞ、って考えは根本的にもう古くさいしここまで危険なことが暴露されて、まったく説得力がない。今の若者はそんなにバブリーじゃないし、結構すぐに順応して楽しくちょっと不自由になった生活をおもしろくしてしまうだろうと思う。大学でわたしが学んだもう一つのすばらしい言葉、それは心理学の乾孝教授が言っていた言葉で「人間は想像力を持って自らの人生を創造する」それじゃなきゃあ、意味ないよん〜それこそが人間のすばらしいとこだよ〜ん(という言い方だったと記憶。) 企業も想像力を働かせたらきっと発想を変えて創造的なものを生み出せるようになると思うのだけど、どうだろう? 高度経済成長とバブルを経験して、そのままのレベルで喜んでる人なんて一握りしかいないよ。わたしは高度経済成長の時期にとてもハッピーな子ども時代を過ごした。でも、大人になって迎えたバブルではまさに「ああこれは泡なんだよな、すぐに終わるし、わたしは恩恵もほとんど受けてないし、これにしがみついている人は悲しいな」と思っていた。 そんなものよりも、岩手で家族を津波で亡くしたおとうさんのことばのなんと重いことか 「ろうそく1本のあかりになったってイイ。家族と一緒にいられるのなら」 この気持ちに嘘偽りはない。だって、あの3月11日の交通マヒの原宿で、夜遊びしているギャルもサラリーマンもみんなみんな家族に会いたくて明治通りをひたすら歩いていたのを見ているから。 認識はされただろうか。たくさんの動画がyoutubeにUPされているようで、デモに行ってない友人達が「見ましたよー」と言ってコメントを書いてくれたりメールをくれた。デモに行かなくてもたくさんやることはある。回りで何もしてない人なんて今いないんじゃないかなあ。みんな何かしらのことをしている。 さて、最初に書いた女性画家さんの話に戻るが、彼女は絵の教師(公務員)だった。板挟みにあって声を発することが困難だったが、絵にメッセージをこめようと思った。それは自然と手がそうしていたのだ。そうせずにはいられなかったと言っていた。 わたしや絵を描いている人たちはそうゆうことをすれば良い。音楽をやっている人も音楽に表せば良い。文句でも怒りでも希望でも祈りでも安らぎでも嘆きでも、なんでも良いと思うのだ。アーティストにはアーティストのできることがある。高円寺でのデモははじめの一歩であり、一石を投じたものだったと思う。次のデモからはおそらくそうは行かないと思う。よくはわからないけれど、能天気な感じではできなくなるような気がしてならない。でもやった方が良い。そうやって日本が成熟していくことになれば良いと思うのだ。 というわけで、きょうの日記は、今までさほど原発のことも知らず、デモにも行ったことのなかった人間の変貌ぶり、となりました。地震から一ヶ月。あまりに巨大な地震だったのでどうやら2、3年は大きな余震がつづくようです。もしかしたらもっと大きな地震が関東にはあるかもしれないですね。毎日ドキドキしながら手回しラジオをリュックに入れてでかけるわたしを3月10日までは想像もしてなかった。今は毎朝子どもには「気をつけてね、何かあったら○○で集合だからね」と声をかけている。怖いっす、ほんとうに。でも、変なヘルメット買ったりして笑ってもいるのだ。そんなこんな ![]()
by eggdance
| 2011-04-14 01:02
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