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![]() どんな風に書いたらよいのか悩む日々がザッと4年半つづき、ついにきょうという日になった。 夫であり協力者であり父親でありアーティストだった松本清(演奏する時は清志)は4月12日朝5時10分に亡くなってしまった。 肝臓ガン。 2007年11月に食道静脈瘤破裂で倒れ、奇跡の復活をとげ、その後2009年1月に腫瘍が発見され、3ヶ月ごとのMRI検査&腫瘍が出ていた場合はラジオ波等で入院治療、という日々だった。その時点ですでにステージ3。なにとぞこのままで、と祈りつつ、数回入院治療をしていた。昨年の9月の検査で一気に腫瘍は肝臓全体を覆い、さらに門脈に腫瘍ができていたことが決定的となってしまった。打つ手がもうなくなり、スティーブ・ジョブズが亡くなった少しあとに、医者に余命1ヶ月と宣告されたのだった。年末までということだ。 その年末は、わたしの新宿での個展にわたしの母や兄弟たちと集まって食事会をしたり、昔からの友人が大森まで来てくれて何度か駅前の喫茶店まで出掛けていった。 しかし、約束の年末はすぎたのだった。乗り切ったのだった。 家で看護師さんと往診の先生に診てもらいながら1月が過ぎ、2月が過ぎた。 そして3月に入り、一気にガンのヤツは勢いをつけた。31日にもう立てなくなり、それからは看護師さんと往診の先生が毎日くる日々となった。 わたしたちは家で過ごすことを選んだ。 何人もの友人が来てくれて、笑ったり、励ましたり、身体をさすったり、手を握っていってくれた。 そして11日に救急車でずっと通っていた三田の病院に行くことになり、そこで亡くなったのだった。 家にいる、と決めていたので2時間後にはもう家に戻ってきて、いつもの位置についたマツキヨだった。 最後まで希望通り家族といることができたのだったよ。よかった。がんばった。 よくがんばったのはマツキヨで、わたしや子どもたちはそれを手助けしただけだけれど・・・ 葬儀は17日と18日で、きょうの昼には斎場に運ばれていってしまい、一区切りと感じたので、ようやくこのことを書くことにした次第。 ものすごく楽しい27年間。マツキヨには感謝の気持ちでいっぱいだ。 最後は「モノを作る人が好きなんだよ。その手伝いをするのが一番楽しいんだよ。それが出来なくなるのはつまらないなあ」と言った。 これからもわたしはモノを作ります。手伝ってくれる人はいなくなっちゃったけれど、きっとずっと上の上の方から力を貸してくれるね。 ありがとう そして、たくさんの素敵な人たちと二人して関われたこと、楽しかったこと、これからもきっと続いていくことでしょう。
by eggdance
| 2012-04-15 22:48
| 松本清志
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