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![]() 『ガンを告知された50代子持ちフリー歴24年Webデザイナー妻不良アーティストという一見危ういアヴァンギャルドな男と家族の4年半』 というのが「メメント・マツキヨ」コラムのかいつまんだ内容です。 癌であると「告知」・・・という言葉自体が重苦しいですね。実際マツキヨの場合は「お知らせ」といった軽さがあった・・・「存在の絶えられない軽さ」という文字さえ頭をよぎる瞬間を味わうことになる。 ●告知はこんな風にやってくる 2007年の11月(「Bronze & Willow」ができあがった日で、1冊目をジパングレーベルの社長にお届けしよう!としていた日)のとある朝に食道静脈瘤破裂で救急で運ばれて九死に一生を得てから約1年間の検査通院。 そして、2009年の2月一番最初にガンの告知を受けた時のことは忘れることができない。(その間転院することになったことについては改めて書く) テレビドラマのように個室にヒッソリ呼ばれて「実は奥さん、落ち着いてきいてくださいね」という風とおもいきや、ざわざわしたナースステーションで、本人とわたしの二人に思いっきりクールに「ガンです。ステージ3です。」 思わずわたしはそれこそドラマのように早めのまばたきをして医者を二度見し、「は〜?今何ておっしゃいましたか?」と聞いたほどだ。 しかし、外国ではこうゆうやり方は普通のことだというのも知っていたので、やはりそうきたか・・・という感じではあった。 わたしは家に帰って「ステージ3」とはどうゆうものなのだろうか?肝臓に腫瘍ができた場合は切り取るのではなく、カテーテルで腫瘍を兵糧攻めにして消滅させるかラジオ波でやっつけるというのが最新医療で、それをするしかない、とその医者がいうのは本当なのだろうか等々インターネットで調べまくった。絶望的なことが書かれているサイトもあれば、そうでもないものもあり、グラングランする。マツキヨも病院に持っていっているMacで同じように調べていた。ステージ3と言われたら、まずあと2年か、3年か、4年か・・・もっと長く生きている人がいるということも知ったが、人はそうそうポジティブにはなれないものだから、Macのモニターを見ながら心臓はバクバクし続けた。 開腹手術ではないので翌日にはだいたい普通の生活に戻れる。あっけないのだ。 ある日外出許可が出て、マツキヨから家族揃って秋葉原ラオックスに呼ばれた。 なんということか!こんな時でも海を見に行くとか東京タワーに(病院から見えるくらい東京タワーは近い)登るとかではなくアキバかい!?と思ったら、この時の方がマツキヨは余命宣告6ヶ月とされた時のスティーブ・ジョブズに近い意識があったようで、自分がせっかくパソコンで仕事をして生活できているのだから、子どもたちやわたしにもパソコンをちゃんと使えるようになって貰いたい。きっと役立つのだから。いいMacをみんなに買い、自分がちゃんと教えるから。まずはそれだ、とゆう思考回路になっていたのでした。 ![]() ということでMacをドーンを買いにきたわけなのでした。今わたしが使っている大きなモニターのMacはその時のもので、Flashをこれで少し覚えた。が、実はあまりFlashを覚えても意味ないのではないか?とコッソリ思っていたので、中途半端でやめてしまった。今もチョコっとしかFlashは使えない。とはいえ少し仕事で使ったりして、まったくというわけでもない。ようはアニメーションだから、面白くなくもない。 ようするに、アルジ亡きあとの家族の行く末を心配してくれていたわけです。わたしはあまりそうゆうことは考えなかったけれど(だいたいいつもなんとかなる〜!と思う性格だから)、確かに子どももいるし、わたし自身も危ういア〜〜ティストだからねえ。けれども何度かそうゆう危機はあったのに、いつもわたしはそんなに暗い気分にはならんかったのです。お金の問題よりも、これからの闘病の大変さのことの方が気にかかっていたから、 『今パソコンじゃないべ〜!そのお金は闘病生活に使うべきでないの???これからきっと何度も入院してガン治療でお金はいるに違いないのだもの。わたしはなんとでもなるんだから(元の踊り子で〜また暮らせるわ〜、と何故かペドロ&カプリシャスの歌がよぎっていたのでした。踊り子じゃないけど)、今どうするかということにお金は使った方が良いではないか』 しかし、そこがそれマツキヨ・デラックスでして、Mac買うとなんとかなる、という絶対的なモンがあったのですね。(実際に今もマツキヨがしていた仕事は継続してやれてるものが多く、確かにパソコンができるというのはすばらしいのです。「何も残したいと思ったことはない」といってはいたけれど、素晴らしいものを残していってくれたと思っている。) 「では今後どうしていけば良いのでしょうか?」 とその時の医者に聞いたところ、食事に気をつける。規則正しい生活をする。3ヶ月ごとにMRIを撮り、腫瘍が見つかればその都度ラジオ波等で消滅させる。この繰り返しだ、ということだった。そして仕事はやらずに家でゆっくりするように、とのことだった。 が、しかし、元々家にいる人なのでありました。 ●家で仕事をしている人はこうゆう感じになる 会社員だったら即会社を辞めねばならないです。辞めたらどうなっちゃうのかしらん・・・ずっとフリーで家で仕事していた者としては、そのあたりの想像がつかない。 結局我が家の場合は、以前と変わらない生活が続いたわけです。いつもと同じように朝は犬の散歩に行き、塩分控えめな食事をし、PCの前に座り仕事して、だる気を感じたら即横のソファに横になる。昼も控えめな食事をする。わたしは工房へ出掛け夕方帰宅する。その間もPCの前にいたり、たまに自転車や車に乗って買い物にでかけたり、横になったりする。 けれど、仕事部屋に一人でいるのは寂しく思ったようで、その頃からリビングにPCを設置(といってもMac book proなので身軽)し、家族がテレビを見ている横で一緒に仕事したり寝たり犬と遊んだり、ずっと一緒に過ごすようになった。少しづつ子ども一人を仕事部屋に移動するようにして、断捨離もすすめる。 無理はしないようにしていたけれど、3ヶ月ごとのMRIではドキドキするわけで、何も腫瘍の影が見えない時は本当にホッとしたものだった。がそのあとも年に1回はひっかかってしまい、ラジオ波での手術入院はその後も3回したのでした。 入院にかかる費用というものは前回書いたように実際にはそんなに負担にはならなかったので(通院や薬代等はかかりますが)、そんなわけでMacをドン!と買っても大丈夫だったわけです。 ●肝臓 しかしながら、肝臓というのは意志が強固でなければなかなか地道な闘病というのはできないのであります。というのも、「痛い」ということがほとんどないからです。痛みがあれば節制する気持ちがキュキュッと引き締まるのでしょうが、時々だるくなって横にゴロンとなりたくなるが痛くはない、という状態なわけですから、今まで暴食(暴飲は全然してないです)していた身としては(2007年は肝硬変となっていたわけで、これは明らかに肝脂肪からきています)、大好きなおまんじゅうとかジャンクなラーメンとか時々どうしてもグオ〜ッと食べたくなっちゃうんですねえ。元々やはりソースやお醤油もかけずにいられないタイプで、止めても、わかっていても、痛みがないものだからついつい濃い味にしちゃう。 しかし、子どもというのはすばらしいもので、わたしが言っても「うるさいなあ」ってなもんですが子どもに言われると「そうだね、やめとく」となる。そういえば、たばこも子どもがしつこく怒ったので早いうちにやめてました。 わたしは良く子どもの足をテーブルの下で小突きまして、注意してもらってましたが、その内小突かなくても自発的に子どもが注意をするようになり、助かってたり。エラいもんですね、子どもって。父親の気持ちも母親の気持ちもわかるんです。 我が家はとにかく身体に関しては注意するけれど、あとは何事も普段通りにするということで、わたしも普通に絵の仕事をし、個展をし、ライブも時々していて、さらに子どもは高校受験になったりなんだかんだとずっと忙しかったけれど、休み休み仕事をしながら、サッカー観戦や海や、普通に過ごしていたのでした。 ガンであることは自分の親しい友人数人にのみ話していたと思います。心配し合い、助言をしてくれる友達がいることはなによりの宝ですね。 マツキヨは、このまま生活や食事に注意している間に劇的な医療技術が生まれるだろう、と信じていました。それは叶わないことだったけれど、きっと近い将来そうゆうことになるのだろうな〜とわたしも思っています。 では、きょうはここまでに 次回は昨年の大震災のあとのことを
by eggdance
| 2012-05-07 16:39
| 松本清志
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