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![]() 先月26日と27日、国際フォーラムのギャラリー展示中ながらも伊豆に行ってきました。 マツキヨは生まれも育ちも横浜ですが、両親が故郷下田に隠居したあとは、下田の弓ケ浜が実家となり、両親のお墓もそこにある。マツキヨの四十九日と納骨(分骨なのだが)に行く前日に、ガッツリとたまった疲れをとりたい!!と、子どもたちと3人で伊豆長岡の老舗温泉に行くことにしたのでした。 マツキヨも連れて行ってあげた・・・と言いたいところだが、よ〜く考えてみたら、マツキヨは温泉が好きではなかった!OH NO!!! 他人とお風呂に入るのも好きじゃあないよ、と言ってたし、「退屈だから長湯もできないし、そんなところに行くならキャンプの方がずっと良い」・・といって、我が家はずっと温泉には行かないがキャンプだけは相当やったのだった。ホテルに泊まることや旅館には実はわたしもそんなに興味はなく、外で料理してワインを飲みながら川の音をバックに星を眺める方がずっとずっと楽しい、というのはわたしもまったく同じだけど。 たまにはいいもんよね・・・・ 子どもとダラダラしながら、「連れてきたけど、退屈かもな」と語る。 次の日、無事に納骨を済ませ、毎年遊んだ美しい海を見に行き、いろんなことを思い出し胸がいっぱいになった。たくさん遊んだなぁ・・・・ そんなに好みがピッタンコなんて夫婦はいないと思う。 夫婦に限らず人と人とを結びつけるのは、沢山の理解できない部分の中にあって、ちょっとのもの凄く理解できる部分・・・があることなのだ。 先日マツキヨのレコード棚をちょいとパラパラやっていて思い出したのは、結婚した時にどれだけ重なるレコードがあるかしらん?と思っていたら予想に反してたったの2枚しかなかったので驚いたことだった。 二人ともレコードの枚数は相当ある方だ。なのにたったの2枚! その内の1枚はジョン・レノンがハウスハズバンドから復帰した時の「ダブル・ファンタジー」。そして、もう1枚はエリック・サティのレコードだった。 ![]() マツキヨはサティのピアノ弾きのリリさんと一緒に演奏などしていたから持っていたに違いないが、わたしの方は二十歳頃にルイ・マルの映画「鬼火」を見たあとに映画を通して使われていたサティを、捜して買ったのだった。映画はモーリス・ロネがスタイリッシュで暗くて良かった。 不思議なことに同じアーティストのレコードでも重なってなかったのだった。マツキヨはジャズが多い。その中には山下洋輔やマル・ウォルドロンなどわたしも何枚かもっているものもたくさんあるのだけれど、1枚も重なってない。DEVOやロキシーミュージックもお互いもっていたが、重なってなかった。わたしはビートルズとストーンズは多分全部持ってるが、これらは1枚もマツキヨは持ってない。 音楽に関しては、「え〜〜こんなの聞くの??嫌あ〜」ってことはさすがに無い。どんなものも聞ける。が映画は相当違うんだなあ〜。 なんたって、最初に映画に誘われた時、なんと「南極物語」だったのよ!内心「え〜〜!?考えられない〜、ゴダールとかベルイマンとか見てるわたしが何が悲しくてケンさん映画???」と思ったものだった。でもまあこんなことでも無いと見られないかもなあ、と着いて行った。 そんなマツキヨがフェリーニの「カサノバ」が大好きで何度も見ていることがわかり、これだけでOKだとわたしは思った。ケンさん帳消し。そうゆうものだ。 マツキヨは日本映画が好きなのでありました。でも、これは多分字幕を見るのが面倒だったからだと思う。 音楽、映画ときたら、あとは本だ。 これもあらまあビックリで、わたしは結構読書家だった(過去形)のだが、マツキヨは結婚した時「小説は時間の無駄だから読まない。マニュアルが愛読書だ」と宣ったのだった。確かにそんな気がしないでもなく、わたしも小説読むより新書ばかり読む日々だったのだが、それにしてもマニュアルかい!? ところが、ある日 「でも、2冊だけはちゃんと読んだ。1冊は子どものころ「星の王子様」をオバさんに貰って読んだ。わからないながらおもしろいと思った。ちゃんと最後まで読めた児童文学はそれ1冊。それと大人になってから「ブリキの太鼓」を読んだ。あれはおもしろかった」と言ったのだった。 「ブリキの太鼓」はギュンター・グラスの名作だ。映画も本も最高におもしろい。そして「ブリキの太鼓」は分厚い上下巻だ。これをちゃんと読んだということは、単に本が嫌いというわけではない、ということが自ずとわかる。わたしとしては、この2作品を読んでいる、ということだけで本についてもまったく問題なくOKだ、と思ったのだった。本なんてそんなに読まなくて良い。何を読んだか、何が好きだったか、の方が問題だ。 だいたいが夫婦はそんな風なんじゃないかと思ってるのだけどどうかなあ。 「全然趣味合わない〜」なんてことはどうってことない問題なのだ。 たとえ、「南極物語」見て「愛読書はマニュアル」でも、「ダブル・ファンタジー」とサティの同じレコードを持っていたことと、「ブリキの太鼓」を読破したこととフェリーニの「カサノバ」が驚異的に好きだったことで、All Okではないか。 その反対に、わたしに対して「ええ〜、こんなの好きなの?」ということを思っていたかどうかが実はわからない。なにせ、悪口を言わない人だったからだ。ただ、わたしが学生の頃紙粘土で作ったアリスに出てくるウサギについては、「こうゆうのをずっと作る人がいい」と言っていたのは覚えている。モノを作る、ということがすべてだったのかもしれない。 大抵はそんなものだと思う。違うのは当たり前なのだものね。違ってても面白いと思えれば最高だし、そこには愛があるだろう。言い換えれば、足りないモノを容認して補えるようであれば良い。その中で、もの凄く「いいね!それ」と共通して思えるものがちょっとあれば、そんな程度で良い。
by eggdance
| 2012-06-06 22:30
| 松本清志
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