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![]() 刷り増しというのは、色や刷り方が決まってしまえば無心にやれるようになるため、その時間いろんな事を考えることができるという良さがある。たとえばこの『Fish & Chips』でいえば、この看板にあるように「お持ち帰り」のことは「Take Away」と言うんだよねー英語では、なんてことを思い出すわけです。 初めて英国に行った若かりし頃、絵にあるような小さなFish & Chips屋で新聞紙にくるまれたものを外で食べたかったわたしは、勇んで店に入り『Take out Please」と言って「?」な表情を店員さんにされて顔が赤くなってしまった経験がある。隣の客が「Takeaway」と言っているのを聞いてガビーンとなり、すぐに真似をして事なきを得た。学習ですね、学習。 そしてその後大分たってこれらの版画を制作するためにロンドンに行ったのは2005年の7月7日で、ロンドンで大規模なテロがあった日だったため、刷り増しの日々はイコールあの時のロンドンの風景を思い出す日々でもあるのです。 その時のロンドンでの風景は事の重大さとはまったく違った静かなものだったことがとても印象的だった。早めに仕事を終えた会社員たちが、地下鉄が動かないために黙々と淡々と歩道を歩くのだ。自転車の人も多かった。大声を出したり走ったりすることもなくただ歩く人々。もちろん現場となったキングスクロス駅の周りには花をたむける人々がたくさん集まって追悼していたが、そこで右往左往している人のほとんどは海外メディアの人たちばかりだった。紳士たるものは慌てないものなのだ。こんな時こそ怒りは胸に秘め、淡々と平常な暮らしを貫く。 今回のパリでのテロ事件から1週間が経とうとしている。最初の1、2日は追悼の想いでいっぱいだった。しかし、1週間たって被害にあったパリの人たちの手記を幾つかみていると、彼らはやはり憎しみをぶちまけることでは問題は解決しないし、怒りを爆発することは暴徒と同じレベルになってしまう、だから憎みもしない、君たちの勝利は一時のものに過ぎず、今後も笑顔を持った自由な日常を過ごす我々は負けはしないのだ、と語る人たちが多く、これは大昔から戦争を繰り返してきた、そしてその度に生きるという意味を真剣に考えてきた国々ならではの考え方なのだな、とつくづくわたしは思った。 戦いが身近であったフランス人。その良し悪しは別として、だからこそ「自由」「平等」「博愛」を意味するトリコロールカラーの国旗の意味するところは大きい。わたしがFacebookのアイコンをトリコロールにしたのはそういった意味と、わたしが大学時代にフランス近代哲学(サルトルを中心とした)学んだこと、フランス文学が好きなこと、エコール・ド・パリ、ベルエポック、フランス革命等々様々なことでフランスに学び、憧れ、リスペクトしているからだった。そして昨日トリコロールを外した理由は、テロ集団がSNS大好きだからという理由だ。SNSで怒り嘆き悲しむことをしつづけているとテロ集団は喜ぶばかりなんだろう。学校での無法者もそうだがこうゆう輩は無視されたら一番ガックリくるのだ。だからやり返したりしたらいけないのだ。(と稚拙なことを言ってるみたいだけど、そんなものではないのかしら?)ワーワー奴らが言ってても黙々と淡々と日常生活を送ろう。 よく考えてみれば、わたしは人を傷つけることをする必要がない幸せな生活をしているのだ。人を傷つけることでしか満足を得られないとは、どんだけ不幸なのだろう、彼らは。そう思いながらまたわたしは黙々と版画を刷っていた。すると突然悲しくなってしまって、彼らを抱きしめたくなった。彼らは何故にこんなことをすることを選んだのだろう。そしてまた刷りながら思う。抱きしめてあげたいけれど、爆弾を身につけているから怖くて抱きしめてあげられないよぉ〜捨ててよぉ〜 それからまた刷っていると『戦場のメリークリスマス』での1シーンを思い出した。日本人将校の坂本龍一を英国人捕虜のデヴィッド・ボウイが思わず抱きしめるシーンだ。これはしょっちゅう思い出すのだ。ここに英国紳士の気質が本当に良く表れてているし、戦い続きのヨーロッパ人が作りあげた哲学の一片を見るような気分であった。 わたしが学んだフランス哲学は、自由こそ人間の特権であり、その自由は自ら勝ち取るものであり、だからこそ自分の存在意義についてキチンと考え、意見を述べることが大事だとする(細かいことは聞かないでね、成績悪い学生だったので)。パリでの人々のインタビューを見ていると、どの人もどんな意見でもハッキリと答えているのが印象的だった。「わかんなーい」とか「よくわからないのでお任せします」とか誰も言わない。『この自由はわたしたちが勝ち取ったものだから、これからも自分たちで守るのだ、誰を頼るという問題ではなく、国民一人一人が守っていくためのものだ』と言っているのだ。だからこそ、フランスではデモは日常なのだ、ということをわたしは言いたいのだ。デモについての意識が日本ではまだ低すぎる。デモというのは、たとえば政府に対してであれば、国民は逐一政府がやってることを見ているぞ〜!と知らせしているだけのことなのだ。だから日常的にやるのは当然のことなのであり、暴動を起こそうとしているものでは全くないのだ。これは真っ当な国民の権利だ。 Facebookのわたしの友人関係で今も数名がトリコロールをアイコンにつけている。彼らはハッキリとした理由があって今もつけている。その内なくなるだろうけれど、そこにわたしは彼らがフランスをリスペクトしている意味を見ている。わたしは最後の方は意地でつけていた感がある。軽々しく最初の頃にトリコロールをつけていた人たちがあっという間に外したのが実はわたしは気分が悪かった。理由はもっともだしそれで良いのだが、理由もへったくれもない人が多分多かったから嫌なのだ。 上に記したような「自由」の意味、「国民の権利」、などを教えてもらったのがフランスの文学や哲学だった。 このように、この意地でトリコロールをアイコンにつけていたことで、わたしはたくさんのことを学んだのだった。それはね、何かをあからさまに主張することの責任、なのだ。誰に何を言われたわけでもないのに見えないプレッシャーを感じた1週間だった。政治家のように旗印を掲げている人はそのプレッシャーをちゃんと受け止めて責任ある態度を貫かねばウソだろう。 イッパンピーポーのわたしでさえ、自分の信条を繰り返し考えさせられることになった。そして、わたしは毎日のように心の中で自分自身とディベートをし続けていた。そうゆう人は多かったと思う。「これで良いのだろうか?」「いや、こうかもしれない」とディベートしていくことで、自分と違う意見の人のことを考え思いやることができる。そこまで偉そうな結論は出てはいないのだけど、それでも疑問を持って問い続け、そしてそれを言葉にすることは怖いことではないのだ、と考えている。きっと話し合うことが可能だと考えているからだ。政治家もそうしているかしらん? それからまた刷っていると、ある考えが浮かぶ。「欲」がこんな世の中を作っているのだろうと。しかしその欲こそが文明を進化させ、わたしも大好きなヨーロッパの文化を作った。ああ、なんて複雑なのだろう。一体どうすれば良いのだろう。日本人の持っている「無我」「無」の境地の方がよくはないか???等々、西洋にたくさん学んだわたしはヨロヨロしてしまうのだった。 と、ちっぽけなわたしは考える。ちっぽけで弱いけれど、思考することによってまた立ち上がることができるだろう。 きょうの最後に尊敬するフランスの思想家であり数学者であるパスカルの有名な言葉を。 『人間は考える葦である』 人間は葦のように弱っちいです。風に吹かれ嵐に襲われナヨナヨとあっちに倒れこっちに倒れします。でも決して折れることはない。またヨロヨロと立ち上がる。人間はその上考えることができる生物なのだ。力で押し倒されても、気高い精神を持って立ち上がり、そしてなおかつ成長するだろう。
by eggdance
| 2015-11-20 21:09
| 単なる日記
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