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『きょうママンが死んだ』これはカミュの『異邦人』の冒頭の文章。いつかわたしもこの言葉を呟くんだわ、、それはいつなのだろうか?それは水曜日7月6日の朝のことだった。
けれども、やはりカミュの言葉は小説であって、実際にはその日そんなことを呟く気力はわたしにはなかった。カミュだってそうだったろう。 ![]() きょう、家族だけで葬儀を終えて涙の数日間が終わった。松本氏が2012年の4月に他界してから仲良しだった母はどうもガタガタと認知症になっていった感じがする。人は悲しみに対する許容量が決まっているにちがいない。堪えきれずに人は壊れていくのだ。 最後は胆嚢癌とそれによるリンパ転移だったが、認知症のせいで幸か不幸か痛みを訴えることはなく、火曜日に鶴川の病院にかけつけた時にはすでに意識はなく、静かに静かに息をしていて、ずっと同じ様子だったために近場の姉と兄、息子たちが一度帰宅。遠いので泊まったわたしは、松本氏の時の経験上丑三つ時から朝方に嫌な予感があったので、付き添い、一人で看取った。 ![]() 最愛のママン。が、いなくなるなんて考えられないことだ。わたしと母は『いい加減度おふざけ度権力に屈しない度おしゃれ度』で気が合っていたので、わたしの半分はまさに母でできていると常日頃感じて生きていただけに、喪失感は大きい。ゴメンネ、パパ、パパの時よりもはるかに喪失感が大きい。しかし、これは大抵の子どもがそうにちがいない。だからこそ、「オレオレ詐欺」が成立してしまうのだ。母の愛は無償の愛。だからなのだ。 2年間は認知症の症状を遅らせる薬で、さほど大変なことはなかったけれど、松本氏がいなくなった分わたしは母のために過ごそう!と考えていたので、1週間に一度は実家に泊まりがけで行くことにした。母はずっと一人暮らしを貫いていたけれど、その頃から面倒は5分という近さにたまたま引っ越してきていた姉が毎日見にいってすべての世話をしていた。が、実は義兄も松本氏が亡くなる寸前に脳梗塞で倒れ(この年はウチの家族は散々な年となっていたのだ)、その後ずっとリハビリの日々になってしまっていたという大変さで(現在も)、姉は義兄がリハビリに通っている昼間は母のところにいられるが、夜は絶対に義兄の世話があるので泊まることはできなかったのだ。そこで、わたしが行くことになった。 そうやって約3年半過ごした。2年を過ぎたころ、薬は効かなくなって、どんどんいろんな障害が現れてきていたけれど、わたしには脳の方は重症とは思えず、結構コミュニケーションはとれていたから、たくさん話しをすることができたのだった。穏やかなくらしだ。 その間2匹の雌猫が赤ちゃんを産み、Facebookでわたしが里親探しをしたので、里親になってくれた友人が家に訪ねてきてくれた。昔はわたしの友人は結構家に来ていたし、父の会社の人もたくさん来ていた。どの人も母がおもしろいので楽しんで帰っていったことを思い出す。おしゃべりが魅力的なので、みんなの人気者で中心だったのだ。 ![]() 3年半毎週行って、ご飯を作って一緒に食べて、お風呂に入れた。近所の有名なパン屋さんに朝一緒に行って甘いパンを買ってテラスでコーヒーを飲んだ。2回ほどタクシーを呼んで町田で有名な「カフェ中野屋」に連れていってすんごいパフェを食べた。オシャレな店に連れていってあげて靴を買ったり化粧品もルンルンしながら選んだ。普通のことだけれど、二人だけでやった様々なことが今思い出され、しみじみ「楽しかったな〜ママと一緒で楽しかったな〜」と思うのだった。イライラしたりして謝りたいことも勿論たくさんあったけれどわたしはもうそうゆうことは思い出さないことにしたのだ。楽しかったことだけでいい。 ![]() **油絵を描いていた父はよく母をモデルにしていた。ポーズをとる母*** 度胸があってユーモアあって、美人でおしゃれで人情味に溢れていた。 「座ってないで立ちなさい」というのは誰でも言うと思うのだが、大学受験の頃の鬱々していたわたしに母がかけた言葉は 「立ってないで歩きなさい。歩いてないで走りなさい!」だった。え〜〜!!歩きなさい、まではまあ普通に理解できると思うのだが、「それだけではただの人だ。走りなさい!」と言うのだ。こう見えて引っ込み思案のわたしにはこのくらい言わないと動かないだろうと母としては思ったのだと思う。そのおかげで何度もわたしは肩を押され、何度となく訪れたターニングポイントでエイッ!と困難な方に向かって舵をとることができたと信じている。ママンに感謝だ。 ![]()
by eggdance
| 2016-07-09 20:26
| 単なる日記
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