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![]() 終わったあとの余韻が、映画の中の普通の生活とは逆に不思議とリアルじゃなくて、どんだけ現代のわたしたちは極端な物事に慣れすぎているのだろうか、、、と思った。座席を立って入り口に行くまでの間にじわじわといい映画だったなあ...と満足感が広がり、久しぶりにパンフレットも買ってしまった。 毎日の生活とはこうだ。毎日毎日インスタにアップするほどのことは実は起こってはいないのだ。だからどちらかといえばツイッターを見る方がわたしは好きだな。瞬間のつぶやきを書いている人のを見るのが楽しく、どんどんパソコンの画面から下の方へ滝のように流れて消えていく姿が、画面の向こうにいるたくさんの人をかえってリアルに感じさせてくれるからだ。過ぎて行くが記憶にかすかに残る。それで良いではないか。 ヌーヴォー・ロマンとヌーヴェル・ヴァーグのような何か起こりそうで起こらないものを久しく見てなかったけれど、これを見て思い出してしまった。わたしの卒論がこれだったからで、何度か書いているが、大学の直属の教授があの(!)矢内原伊作先生で、「君、こんなの見てどこに感動があるのかね?」と言った言葉が忘れられないのだ。この言葉がずっとわたしの中にはあり、感動することにそんなに意味はあるのか?しかし感動のない世界にわたしは喜びを見出せるのか?などたくさんのジレンマが生まれた。 矢内原教授が好きなのはヴィスコンティだったので、ゴダールやルイ・マルなどは全然意味がない、、、という感じだったのだろうと思う。 しかし、矢内原教授の専門「実存主義」から見れば、理解されていても良さそうなもので、学問と趣味とは違うのだろうか?とその頃思ったものだ。これも未だわたしの中では解決されていない。 ジャームシュの映画はロックテイストで好きだ。そして、今回ハッキリわかったのは日本的な無常や禅の世界がこの人の中にはずっとあるのだな、ということだ。(すみません、映画評とかほぼ読まないので、そうゆうことは言われているのかもしれませんが)この映画には鴨長明「方丈記」が見えているではないか〜と座席を立つ時思ったのだが、思わず買ったパンフレットを電車の中でめくっていたら中野翠さんがまさに書いていてアチャ〜〜となった。だよね、そう誰しも思うよね。 あの滝のシーンや、バスから流れていく景色。ブルドッグのマービンに粉々にされた詩のノートなど、何事も留まることなどなく、流れてそして消えていくのだ。けれども、過ぎ去っていくだけではなく、記憶の底に何かしら残り、また新たな姿となって心の中で育っていくのだ。それで良いのだ。 頭の中で言葉にしていくことは楽しい。時間がいくらあっても飽きない。詩のようにあたりを見ていると世の中のことはすべておもしろい。わたしは電車の中が一番好きだ。 ところで、わたしの知り合いの中にはアーティストなのだが、郵便配達、タクシーの運転手、牛乳配達などをしている人が結構いる。生業としての仕事なのだが、あえて選んでこれらの職業についている。なぜなら、時間が決まっていて、仕事が終わればひきずることもなく、人とのコミュニケーションも特にいらないから、思いっきりアーティスティックな作業に没頭できるからなのだ。これはとてもよくわかる。 以前故松本氏が演奏帰り最終電車で帰宅中に隣に座った人となぜか話すことになり、それがおもしろかったんだよ〜と話してくれたことがある。その人はやはり演奏を終えた帰りだったらしい。突然チェロのケースを持っている松本氏に話しかけ「わたしは区役所で働いているんですよ。あえて役所を選びました。区役所はいいです。5時半には仕事が終わり、あとは自分の時間です。土日も縛られないです。こうゆうのが一番いいです」と。脳みその中を決まった時間で100%づつ替える。1%も引きずらない。こうゆうのも良いかもしれないが、役所よりバスの運転手の方が良さそうだ。詩を書くなら。創造的な精神のままでいたいのならバスの運転手の方がいい。 パンフレットによると、ジャームシュはこの映画でオリジナルの詩を提供したロン・パジェトとともにコロンビア大学でケネス・コークの授業を受けていたというではないか。ケネス・コークはこの映画でとりあげられている「パターソン」という詩集を出しているウィリアム・カーロス・ウィリアムズもそうだったニューヨーク派の詩人で教授でもある。わたしが持っているビート詩人関連の本の中で名前を見た記憶があったので帰宅して調べてみたら写真とともに載っていた。 ビートニクと言っていいのかどうかはわからないけれど、年代的にはケルアックと同時代の人だ。W・カーロス・ウィリアムズはもう少し前の人だが、淡々とした語り口、誰もが知っているような日常を語る感じはビート詩人に多大な影響を与えたのではないかと想像できる。また、パターソンに生まれ、そこに生涯住み医師として一生を全うしながら詩人としても立派な仕事をしたのだそうだ。同じパターソン出身で、ビート詩人として有名になったギンズバーグよりもジャームッシュが彼をとりあげたのは、非常によくわかるではないか。日々の生活と創造的な精神は当たり前に同時進行されるものなのだ。 自分のことをいうのはおこがましいが、一見まったく違うことをいくつもやってるように見えるかもしれないけれど、こうゆう生き方があるということ、全然不自然なことではないということ、この映画を見たあとじんわりと嬉しい気持ちが広がった。 最後に、日本人詩人永瀬が、パターソンに来てみたかったのだ、と言うところ。これもわかるわ〜 わたしもディラン・トマスのふるさと英国ウェールズのスウォンジーにどうしても行きたかった。行って「ミルクの森」が書かれた場所に行ってみたかった。どんな風が吹いて、どんな匂いがする場所なのだろうか。どんな風景を見て子ども時代を過ごしたのだろうか、好きな作家の故郷を見たいという気持ちは誰にでもあると思う。スウォンジーはどんよりした曇り空で海に寄せる波はザワザワしていて静かだが不穏だった。 夫婦が良かったなー。細々としたものがすべて素敵で良かったな〜。ソウルバーの音楽も写真も、双子達も良かったな〜。そしてわたしはカップケーキ用の天板を買って帰りましたよ。
by eggdance
| 2017-10-20 00:39
| movie
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