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![]() 個展ではお客様と作品についてたくさん話しをする。伊東屋ではミニ額作品が収まっているガラス什器のそばで話すことが多く、「ニャゴローは今回はいないのですか?」「スルメは出てないの?」「ハシビロ公爵様に会えてよかった」等々、作品の中のキャラクターの名前を覚えてくれている人が結構いることにまず驚いた。 また、スタッフの方に「タイトルを電話で伝えたらすぐにどれだかわかりますか?」と聞かれ、「それは勿論すぐにわかりますよ。だってキャラクターの名前がついているのが多いから〜」と返事をして、そうだ、わたしのミニ作品は濃〜〜いキャラクターでできているのだ、だからわけがわからなくなるわけはないではないか!と気付かされた。 さらに、「この妙なキャラはいつ思いつくのですか?」といった質問もよくうける。で、考えてみました。 ![]() こうゆうものはふにゃふにゃと鉛筆でただただ断片的に描いているたくさんのいたずら描きの中から現れる。そこにはすべてストーリーがあるので、タイトルを忘れるようなことはあり得ない。 そして、今回こうゆう小さい作品と大きい作品とのギャップについても質問されたので、答えながら考えてみたら、これらの小さいものはたくさん描いていると、ある時大きなヴィジョンを持った作品につながるということに気付いたのだった。 どの人の頭の中にも、小さいけれどもキラリと光って記憶に残るモノがある。その時にはそれが何故自分にとってキラッとしたのかわからないことが多いに違いない。その時点ではほとんど無意味なのだが、実はそれこそが「わたしのエキス」でありあなたのエキスなのだ。それは言葉だったり匂いだったり、あるいは風景だったりいろいろ。 それがある時結び合って大きなヴィジュアルとして浮かびあがってくるわけだ。わたしの小さなバカバカしい作品はわたしのエキスであった。自分が見つけた土器でティーバッグのお茶を飲むモース博士も、「ケッコー」と何でも適当な返事しかしないケッコー教授も、タコのかつらをかぶってる蛸博士も、くだらない。本当にくだらないものを描いていると自分でも思っているのだが、これがわたしの大事なエキスであった!そして版画に関していえば、大きいものと小さいものとに差はまったくなく、どの作品も手間暇工程は同じなのだった。 いつかこれらに内在する抽象的だが共通するイメージの幾つもの泡が膨らんで、やがて一つにくっつく時がくる。 その時はある時突然やってくる。 小さくて無意味と思われる断片が実はとても大事、ということだ。作品ができあがる時と同じように、人間もそれが結びついてそのヒトを形成しているからだ。 ではこれらのエキスを何故大きく描かないのか?「いや〜これは単なるエキスですから」と言ってわたしは大きい作品にはしないのだけど、本当は大きな作品にするべきはこうゆう作品なのかもしれない。小さいと、コッソリ楽しむような作品になり、それはそれで楽しいけれど、大きくしたら・・・・・ いきなり大層な意味を持つだろう。 いきなり現代アートになるだろう。 こういったことに気付いてしまいました。 大きな気づきでした。 個展後報告1、でした。
by eggdance
| 2018-05-10 11:57
| 作品/art
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